人間関係作りの授業
今日は高校にて、人間関係作りの授業をしてきました。
近年、学校では話を聞くだけでも、
アドバイスするだけでも
充分な援助をすることができません。
大学院の時、人間関係作りのスキルである社会的スキルの訓練の専門の先生の研究室に入って、児童生徒達にどのように関わっていけば、授業で、学校で、家庭で、社会的スキルが身につくのかを研究をしていたことがあります。
学校現場では、年々、マナーが混沌としていて、価値観が多様化してきているせいなのか、何が正しいのか、何を望まれているのか、分からなくなっている子ども達が多くなっているように感じます。
良質なものの善悪の判断を取り入れる時期は必ず必要です。なんでも答えは自分の中にあるとは、思いません。たくさんの栄養の素地があってこそ、一人前に自分の中に答えを探せるのだと思います。
教育の目的の一つは、骨組みをしっかりさせるものだと思います。それ以降のライフイベントに必要な選択をするためにも。この高校までの時期の関わりは特に大きいです。
話は戻りますが、社会的スキルを身につけるためには子どもをほめること、認めることが不可欠ですが、それが苦手な人もいます。
ほめることに、高尚な哲学というハードルを設定したがる人もいます。
そして、子ども達にヒントを与えずに変化を要求します。うまくいかない循環がそこにあります。
こんな小さなすれちがいが、受け手に小さなコンプレックスや小さな傷つき感を生むのかもしれない。
これが世代間伝達していくのを、少しでも改善したい。
子ども達が身につかない時には、未熟な教師がいるだけ。
という言葉を聞いたことがあります。
ということは
子どもがうまく話せない時や表現できない時は は、未熟なカウンセラーがいるだけ。
子ども達への対応がうまくなりたいが悩んでいる教師の前には、未熟な学校コンサルタントとしてのスクールカウンセラーがいるだけ。
だから、困っている方々をサポートするためにも、日々日々技術を研鑽していきつづける。
悩んでいる人の前の広い海、広い空になるために。
今日もたくさんの相談を頂きました。
授業をさせても頂きました。
それは、とてもありがたいこと。
心を解き、意義あることを学び合う、対話ある心の授業、支援。
毎日、同じドアを開けているような日々もありますが、続けていたら、違う色形のドアを開けたことが分かる時があります。今日はそんな日だったと思います。
ゆりぞうスラップは景品として、対人関係ゲームの優勝チームにプレゼントしました。
はじめての手芸作品。くるみボタンゆりぞうストラップ。
最近、ますます、髭の生えたオトメンおじさん度が濃ゆくなっています。